退院できました。

1月25日手術・2月24日退院して参りました。自力で歩行できるようになったのが2月9日ぐらいで、他の同じような手術後の患者さんより随分と時間が掛かったようで、看護スタッフの皆様にご心配を頂きました。退院してきたら、階段を杖無しで上り降りする私を見て奥さんもびっくり・・なのですが、実は未だ、長く座っていられません。コルセットから右太ももに付け足してあるスパイカーという、股関節の角度を制限する治具のせいか3月16日の今現在で30分位が限界です。痛くなるのでなく、重苦しさを感じる・・という程度なのですが、初めの頃は食事も立ち食いでした。
正直に言うと「痛みが消えるのなら何でもいい・・」と、藁にすがる思いで手術に臨んだので、具体的にどんな手術を受けたのか知ろうとも思いませんでしたが、夜に背中の痛みで目覚める・・朝、目覚めると腰のあたりがジンジンと重苦しく・・背中にロキソニンテープを二枚張りし、その上をコルセットで固め甲殻類に変身して一日を耐える・・という、ここ10年の日常が嘘のように必要無くなってから・・「俺ってどんな手術を受けたんだ??」と興味を持ちました。で、パソコン画面を写させてもらいました。(多分、人様にお見せする物でない部分は画面下に隠れていると思います。)

           

奥さんと出会った以外、よいめぐり合わせに会った事はあまり無いのですが、今回は偶然県内屈指の名医の執刀を受け手術そのものは成功しました。後は落ち着く所に落ち着けば良いのでしょうが、どうかな~??という状況です。


退院してきたら、全日食キムラが閉店していて、市内で一番美味しくて安い弁当とチャーハンが買えなくなり、週末、ワインのデカンタ500とつまみで1000円でほろ酔いしていたサイゼリアも撤退していました。年寄はそういう周辺環境の変化に弱い事を実感しています。
ところが、もっとすんごい事が退院の日から始まりました。ロのプーチン大魔王がシェフチェンコとグジーさんの母国を侵略しました。オリンピックの開会式で、そこまで欲張って委員会周委員長から「パラリンピックが終わったらオラやるよ・・」と台湾進攻について告られたので、あせって判断を誤った・・と私は邪推しています。ロシアの戦車群は地球上で無敵のイメージがあったのと、2014年のウクライナのイメージが残っていたので、失礼ながら3日ぐらいで決着がつき、腰の引いたアンメアリカでは絶望しか見えない・・と思っていました。
ここで年寄の出番です。親ロシアを装い降参して壁となり、女性・子供の盾となり血気盛んな若者を鎮め「お家再興」の機会をうかがう・・。「お~とこの子~なら、負~けないぞ~、あ~~信州~天馬狭~」


ところが、ウクライナ強い!!ウクライナがんばる!!そうか・・一度取られれば竹島の如くの小島も北方4島も何十年経っても戻って来ない。2000年かけて復国したイスラエルは命に代えても他国の侵略を許す訳が無いのだ。平和ボケであった・・。


中学生が学級委員会で口喧嘩をしているようなテレビの討論は聞きたくないが、ニュースから目が離せない・。