スマホ再デビューしました。

第二電電が発足して車載電話が発売された当時、この地域で営業・販売を仰せつかったのは外ならぬ私であった。当時、9秒10円とか言っていたような記憶がある。そしてマイクロタックという携帯電話の中でもセンセーショナルな二つ折携帯をデモ機として持ち歩いていたのも私であった。その時に今の携帯電話の普及状態を予見していれば、違った経済状態であったハズで・・・・残念。


カーナビの便利さに思い知らされたのは正に震災の夜、安達太良SAを降りて石巻でなく東京にウインカーを上げてからであった。渋滞の列に入っていれば何となく東京方面だったろうが土砂流出や橋の陥没などの通行止め区間を切り抜けたのは「迂回機能」で2KM迂回10KM迂回とか選択できて助かった。明け方3時半過ぎだろうか、板橋区の長男・次男の住むマンションを目指していたのに目の前に現れたのは都庁のビルで、そびえ立つ2本の建物を見上げながら「とにかくナビの指し示す通りに進むしかない・・」と妻とあいうちしました。
その時、遠くからサイレンを鳴らしながら近づいてくる車列を感じました。見えないのですが、その数が半端でなく多い事が解り車を停止していると「名古屋市・・」と書かれた救急車、消防車、パトカー、トラックの車列が延々と東北方面に向かっていきました。
「よろしくお願いいたします。東北方面が大変な事になっている・・。」と手を合わせていると涙がこぼれました。「行ってきんしゃい・・」と号令した河村市長が脳裏に浮かび、以来名古屋弁が大嫌いでなくなりました。


脈絡が繋がらないのだが、2013年にガラ携からスマホに替える許可が奥さんから発令されました。嬉々として出かけました。
が、使い物になりませんでした。渇いた脂っけの無い指で受話できません・通話中にスポンジのようにガサガサなのに頬に触ると切れました。胸ポケットに入れていると一番ダメな人に3連続で無言発信していました。


種々の出費に換えられずガラ携(プラスタブレット)に復活しました・。


で、何事も無く推移して来たのですが、2020・3月・・。
爺様はコンビニで会計する時、1000円札がすべってつかめないのでレジの若者の前で指をナメル(しかない)のです。このシグサに対して様々なリアクションがある事は充分に承知をしてきました・・が、2020年3月「さすがにこれはマズイ・・」と思い始めているとレジでスマホをかざして会計しているのを見ました。で、「おらも・・これだ・・」と合点した次第でスマホ再挑戦となりました。


Auペイで・・たどり着くまでに何で違う所をタッチするのか自分でも疑問なのだが、何んとか出来ています。