しろかげ参上~

青影さんと同世代の頃、赤影さんの活躍に胸躍らせましたが、いつのまにか白影さんそっくりになりました。(妻には白ハゲさんと呼ばれていますが・・、)仮面の忍者・赤影、怪獣王子、キャプテンウルトラ、マイティージャック・・(朝ドラにマグマ大使が出ていたし・・)アニメだけでなく実写版のドラマも力作揃いで幸せなテレビ時代を過ごしました。一方で、日中は日が暮れるまで遊びほうけ「三丁目の夕日・地方の漁港都市バージョン」を満喫しました。昭和40年代、大人達がひたすら仕事に打ち込み子供達にかまっていられなかった時代でしたので、自由に遊んでいました。魚市場に係留している船を何艘も渡って、自作の竹の釣り竿で釣りをしたり・・、灯台の先で釣りに夢中になっていたら満潮になって帰り道が水没していたり・・、日々スリル&アドベンチャーでした。


市内各地に青春の想い出を残して旅立つ時期を迎えた時、大変な事が明らかになりました。あらゆる乗り物に乗れないのでした。特に仙石線がダメで乗車率が60%を超えるあたりから「不安の連鎖拡大症候群(本人命名)」に陥り、途中の駅で転げるように下車しました。電車、バス、車、船、いわゆる公共の交通手段という物に乗れず、、徒歩、自転車、バイク(車はまだ持てる状況でなかった。)だけが移動手段ですが、そういう原人は都会に居られません。結局、自宅から通える範囲の地元企業に就職し、今に至ります。会社の営業車やマイカーを運転するようになると少しずつ慣れてきて、古川経由でなら新幹線で東京ディズニーRに家族で出かけられるようにもなりました。が、今でもジャズフェス等のイベントに車で遊びに行った際、移動のため地下鉄に乗る時など一瞬不安になります。


そんな私ですが、どうしても行きたいという熱望が拒絶感を上回り絶体絶命の覚悟をして飛行機に乗ったことがあります。一度目は26年前、中国・北京に行き二度目は昨年末ピーチで奈良・大阪に行ってきました。奈良・甘樫丘周辺は車中泊の強行軍で一度トライしたものの、あまりの長距離運転等で血圧が不安で、自分だけでなく他人を巻き込む事故を起こしては申し訳無いと思い再チャレンジを断念し、鉄路で行く計画と予算を画策していました。そんな時、妻が「ピーチなら3980円で行けるよ・・」と教えてくれました。「飛行機??あり得ないし・・」と一蹴していましたが、「5000円以下で泊まれる宿もある・」と聞くと、高松塚が・・キトラが・・近つ飛鳥が・・私を呼びさまし・・決死の覚悟で飛行機に載る事にしました。
で、日程の調整をしていく中で、USJ,神戸、京都・・とまるっきり私と別ルートを辿る妻の旅程を見ると、往復のピーチだけ隣席の夫婦旅ってどんだけの距離感??とも思いました。