ねずみが---

今暮らしている建物辺りは、7年前、一時海底になりました。学校校舎が盾になってくれたおかげで激流がそれ、一階部分は流出しましたが建物の形状は残りました。そこを事務所・倉庫としてリフォームしゼロ(というかマイナスだべ)からリスタートし、今、震災復興特需の激流から生還し、緩やかな川岸に漂着しつつあるという状況です。
私達の業界は震災前に戻る=地獄に戻る、という意味ですので、復興!復興!と単純に言えません。まして現場主義(計算オンチ)の私のやり繰りでは結果、車両、工具その他生きるために必要な物をうまく揃えたつもりが、あと5年程返済に専念しなければならなくなりました。残念!
震災の年、4月には、中学校と隣接する小学校の桜は咲きました。本当に最後の力を振り絞って咲いている感じで、日本の桜は日本人を励ます使命を負っているのだろうか、と涙する思いでした。その桜も翌年からは花を咲かせませんでした。海水(塩分)のせいなのか?と考えましたが、他地域では浸水エリアでも普通に咲いている所もあり、もしかしてこの地区特有の水産加工場から流出した重油が原因なのだろうか、と今は思います。また、秋になるとこの地域だけススキが生えてこない事にも気付きました。中秋の名月だっちゃ・・と夕方マロン君とススキを探しに出ましたが、ウロウロしてもまるっきり見つからずあせりました。付近はがれきも山のように残り、廃墟と化した街並みにススキはお似合いなのですが見つかりません。もしかして、、と大門崎歩道橋から階段を登っていくと丁度浸水ラインの上にススキが細々と生えているのを見つけました。
6月末頃になると寒さが一転、猛烈に暑さを感じるようになり、私の先見の銘により蚊取り線香を10箱備蓄しました。が、残念ながら異常に発生したのは蚊では無くハエでした。朝、事務所に降りるためにドアを開けると、上空にホバリングしたハエの大群がまさに雲のように群れ、ぶ~~~~んと羽音が共鳴していたのでした。(7年を経過する今でもその音と、日和大橋の下、山西造船跡地に盛り上げられた瓦礫が自然発火してくすぶった煙に包まれた時の嫌な臭いを思い出すたびブルーに浸る事ができる。)
そしてその夏、寝苦しい暑い夜にサッシを全開しても虫一匹飛び込んで来ない・・・。そうボウフラの生息場所が一掃されたのでした。同じく、アリ、ゴキブリ、ネズミそして野良猫も全滅していました。
翌年から、本当に小さいアリが地面を這いはじめた時には「お帰り~がんばってね~・・」等と励ましていましたが、、7年目に入る今日この頃、ついにネズミが天井裏に侵入しました。
はじめ、カサカサと天井裏で動き回る未知の生命体を特定できませんでした。ゴキブリ、スズメ、ネズミ、カメムシ、シロアリ、スズメばち・・or霊的なもの??ユニットバスの点検口を覗きましたが判明しません。


ホーマックに駆け込み、ゴキブリ捕獲シート、ネズミ捕獲シート、かご型ネズミ捕りを購入して仕掛けました。翌日確認すると、かご型のネズミ捕り器のトビラが閉じているのに獲物が残っていません。という事はかごの網目を潜り抜ける事が可能なゴキブリか??と粘着シートの数を増やしました。すると翌日ひそっとユニットバスの点検口を開け恐る恐るライトを当てると・・・2匹のハツカネズミが粘着シートにベタっと張り付いて捕まっていました。
人間の小指に耳を付けたぐらいのはつかねずみは、私が照らすライトに背を向けて固まっていました。生きているのかな?とライトを細かく振ると、左側のやや小さい方が「怖い・・」というふうに震えました。すると右側の少し大きく見える方が「動いちゃダメ・・」と言ったように見えました。私にはこれってミッキー&ミニー??・・と思えてなりませんでした。開放する事ができるか・・・?ちょっと無理でないかい・・?粘着力がハンパでないので無理に剥がそうとしてしても悲劇的な結果が待っていそうでした。
悩んだ末、人間に殺される恐怖を味わうこと無く、「何か動けなくなっちゃった---お腹すいたね~」状態であの世に行ってもらう事にしました。1週間程経ち、恐る恐る覗いてみると絶命したようでした。笹かまと湿らせたティッシュと捕獲シートをビニール袋に入れて焼却ゴミに混ぜ、いつか火葬されるのを待ってて貰う事にしました。
最後に袋を閉じる前に、「今度はペットとして可愛がられるといいね---」と
覗きましたら、二匹だったはずがよ~く見ると三匹になり、顔を重ね熟睡するように昇天していました。