CM・・

朝から晩までテレビのCMがDハウスやSハウスに占められていた時期も懐かしく、もしかして来週くらいからは西日本ではどのチャンネルでも同じCMが流れる事になるような気がする。
23歳になる長女は、「陸王」での役所広司を見て、初めて俳優が演じる事の凄さに感心していた。(いつか三船敏郎の瞳がピーターオトゥールのスカイブルーの瞳よりも美しく多弁である事に感動して欲しいと思うが多分そういう日は来ない。)
役所広司・・毎日CMで見てるべ・・と言ってはみたが、そういえば娘には漫然とテレビを見ている時間・・そして習慣も無かったのであった。


時に、あらためて「全国からボランティアで参集してくれる人々には本当に感謝してもしきれない!!。」本当にリスペクトさせて頂きます。
力仕事はできませんが・・と園芸シャベルで黙々と泥掻きをしてくれた世田谷あたりの女子大生グループや、普段・普通にやってる事だから気にしないで・・とスコップ、一輪バケット類持参でドカドカと掻き出していった土建屋さん集団等・・「落ち着いたら必ず寸志・お礼を送るから、どうか住所と名前を書いて・・」と願っても「参加する時のルールだから・・」と何も残さず去っていかれました。一方「今日は側溝の泥掻き・・できたらここからあそこまで・・体調に気を付けてね~」とボランティアさんに指示をし、自分はそそくさと営業再開したパチンコ屋に駆け込む町内の世話役さん等もいて赤面する思いもしました。また同じ市民でも、停電と断水しただけの蛇田地区のおばちゃんに「まだ長靴履いている人もいるのね・・」とイオンのレジで囁かれた時は『世界中から絆キズナと集まってきてるんだから、せめて日和山から湊と門脇見渡してみろ・・」と思ったがこの手のおばちゃんは8年経った今でも見ていない。そして今でも思い出すと胸がつまるのだが、、
炊き出し・・大型の営業バスを貸し切り食材を積んではるばると被災地に来てご当地のラーメンやらそば・うどんを提供してくれるありがたい人々がいっぱいいて、その人達のパワーに触れるだけでも元気が出たりするのだが、営業バスは規則でガスボンベを積んでくれない。ので、私は配達する事が仕事では無いが、どうしてもやり繰りがつかない時、イ主任の命令で届けに行った。まだ営業再開していないヨーク鹿妻店の駐車場で折れ曲がった街路灯に腰かけて待っていると御一行様が到着した。不機嫌なおっさんが第一村人では申し訳ないから、満面の笑顔でお迎えしたら降りてきた責任者らしき者が「くっさ~!!すごい臭いですね・・これ・・死体の臭いですか??」と発声した・・。
一瞬私の瞳(つぶらと言えないが妻に言わせると死んだ魚・そこまで言うか・・)血流・息がフリーズした。どんだけ探していると思ってんの・・一人いない・・その一人いないをどんだけ探していると思ってんの・・弟を探してご遺体安置所を回り、精神的負担が倍増し憔悴しきった人、震災当日たまたま甥っ子を石巻現場に連れてきて、その甥っ子だけ行方不明となり一か月経っても帰らずに探している人達、その人達にここいらで見つかったご遺体は体育館にいるかも・・と話したら「そんな所にいたらダメなんだ~~」と号泣されて困った事・・等がよぎった・・。
が、、確かにあの頃、加工屋さんの冷凍庫の魚は腐り、付近は特有の臭いに包まれ、湊地区を脱出して再開した田園地帯の工場に行った時「工事屋さん、その匂い・なつかし~~」とくんくんされました。


つまり何を言いたいのか判らなくなったが、失言は誰にもあり、思い出すと胸がつまるのだ。